1959年生まれ
日本のゲームクリエイター、実業家。任天堂の4代目代表取締役社長。「ニンテンドーDS」や「Wii」などの革新的な製品を世に送り出し、同社の飛躍的な成長を牽引した。
出身地: 北海道
学歴: 東京工業大学工学部情報工学科卒業
大学在学中からのアルバイトを経て、創業メンバーの一人として入社。同社におけるソフトウェア開発担当の社員第一号となった。
任天堂から発売された『ピンボール』や『ゴルフ』のプログラミングを担当。卓越した技術でファミコン黎明期のソフト開発を支えた。
入社3年目にして取締役に抜擢される。開発の現場を指揮しながら、技術面でのリーダーシップを発揮した。
アーケード版よりも滑らかな動きを実現。そのノウハウは後に『スーパーマリオブラザーズ』の水中ステージの挙動にも活かされた。
多額の負債を抱え経営危機に陥った同社の再建を託され就任。経営者として手腕を振るい、6年で15億円の負債を完済した。
開発が難航していた本作に対し、「いまあるものを活かすなら2年、作り直すなら半年」と提案。自らプログラムを書き直し、約1年で発売まで漕ぎ着けた。
複雑なプログラムをわずか1週間で解析し、海外ローカライズを加速させた。また、『ポケモンスタジアム』用の戦闘プログラムも独力で作成した。
山内溥社長(当時)に経営手腕と技術への深い理解を買われ、任天堂へ移籍。経営の中枢に参画することとなった。
発売延期が危ぶまれる中、自らハル研究所に出向いてコードレビューと不具合修正を実施。プログラマーとして携わった最後の仕事となった。
42歳の若さで山内社長から指名を受け就任。創業家以外からの抜擢は極めて異例であり、集団指導体制への移行を推進した。
「ゲーム人口の拡大」を掲げ、2画面とタッチパネルを備えた新型機を投入。『脳を鍛える大人のDSトレーニング』などのヒットにより社会現象を巻き起こした。
自らが聞き手となり、開発者の意図や苦労をユーザーに届ける画期的な広報施策をスタート。情報の透明性を高めることに貢献した。
直感的なリモコン操作を導入し、普段ゲームをしない層をも巻き込む爆発的なヒットを記録。据え置き型ゲーム機の勢力図を塗り替えた。
ネットを通じてユーザーに「直接!」情報を届けるスタイルを確立。自身が出演するプレゼンテーションは世界中のファンに親しまれた。
スマートデバイス向けサービスの共同開発と、次世代機「NX(後のNintendo Switch)」の開発を公表。任天堂の新たな成長戦略を提示した。
胆管腫瘍のため急逝。享年55歳。その死は世界中で大きく報じられ、ゲーム業界の多大な損失として惜しまれた。
岩田聡の歩みと、他の著名人の人生を並べてみましょう。