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いわた さとる

岩田聡

1959年生まれ

日本のゲームクリエイター、実業家。任天堂の4代目代表取締役社長。「ニンテンドーDS」や「Wii」などの革新的な製品を世に送り出し、同社の飛躍的な成長を牽引した。

出身地: 北海道

学歴: 東京工業大学工学部情報工学科卒業

人生の出来事

Age 23
1982年

株式会社ハル研究所に入社

大学在学中からのアルバイトを経て、創業メンバーの一人として入社。同社におけるソフトウェア開発担当の社員第一号となった。

Age 24
1983年

ファミリーコンピュータ用ソフトの開発に参画

任天堂から発売された『ピンボール』や『ゴルフ』のプログラミングを担当。卓越した技術でファミコン黎明期のソフト開発を支えた。

Age 25
1984年

ハル研究所取締役に就任

入社3年目にして取締役に抜擢される。開発の現場を指揮しながら、技術面でのリーダーシップを発揮した。

Age 25
1985年

『バルーンファイト』ファミコン版を開発

アーケード版よりも滑らかな動きを実現。そのノウハウは後に『スーパーマリオブラザーズ』の水中ステージの挙動にも活かされた。

Age 33
1993年

ハル研究所代表取締役社長に就任

多額の負債を抱え経営危機に陥った同社の再建を託され就任。経営者として手腕を振るい、6年で15億円の負債を完済した。

Age 35
1994年

『MOTHER2 ギーグの逆襲』を完成に導く

開発が難航していた本作に対し、「いまあるものを活かすなら2年、作り直すなら半年」と提案。自らプログラムを書き直し、約1年で発売まで漕ぎ着けた。

Age 39
1998年

『ポケットモンスター 赤・緑』の海外展開を支援

複雑なプログラムをわずか1週間で解析し、海外ローカライズを加速させた。また、『ポケモンスタジアム』用の戦闘プログラムも独力で作成した。

Age 41
2000年

任天堂に入社、取締役経営企画室長に就任

山内溥社長(当時)に経営手腕と技術への深い理解を買われ、任天堂へ移籍。経営の中枢に参画することとなった。

Age 42
2001年

『大乱闘スマッシュブラザーズDX』のデバッグを指揮

発売延期が危ぶまれる中、自らハル研究所に出向いてコードレビューと不具合修正を実施。プログラマーとして携わった最後の仕事となった。

Age 43
2002年

任天堂第4代代表取締役社長に就任

42歳の若さで山内社長から指名を受け就任。創業家以外からの抜擢は極めて異例であり、集団指導体制への移行を推進した。

Age 45
2004年

ニンテンドーDSを発売

「ゲーム人口の拡大」を掲げ、2画面とタッチパネルを備えた新型機を投入。『脳を鍛える大人のDSトレーニング』などのヒットにより社会現象を巻き起こした。

Age 47
2006年

インタビュー連載「社長が訊く」を開始

自らが聞き手となり、開発者の意図や苦労をユーザーに届ける画期的な広報施策をスタート。情報の透明性を高めることに貢献した。

Age 47
2006年

Wiiを発売

直感的なリモコン操作を導入し、普段ゲームをしない層をも巻き込む爆発的なヒットを記録。据え置き型ゲーム機の勢力図を塗り替えた。

Age 52
2011年

「Nintendo Direct」をスタート

ネットを通じてユーザーに「直接!」情報を届けるスタイルを確立。自身が出演するプレゼンテーションは世界中のファンに親しまれた。

Age 55
2015年

DeNAとの業務・資本提携を発表

スマートデバイス向けサービスの共同開発と、次世代機「NX(後のNintendo Switch)」の開発を公表。任天堂の新たな成長戦略を提示した。

Age 56
2015年

代表取締役社長在任中に逝去

胆管腫瘍のため急逝。享年55歳。その死は世界中で大きく報じられ、ゲーム業界の多大な損失として惜しまれた。

同世代(前後5年生まれ)の人物と比較

次は、誰と比較しますか?

岩田聡の歩みと、他の著名人の人生を並べてみましょう。