1993 年のとき
1993年。あの人は何歳で、どんな日々を過ごしていたのでしょうか。
時代の空気感とともに、当時の記録を振り返ります。
ドラマ『ツインズ教師』で女優デビュー
14歳でドラマに出演し、芸能活動を本格的に開始した。
野茂英雄からプロ初本塁打
近鉄バファローズの野茂英雄から右翼越えのプロ初本塁打を記録。二軍では46試合連続安打という驚異的な記録を残した。
ドラマ『あすなろ白書』でブレイク
ヒロインを支える取手治役を好演。背後から抱きしめる「あすなろ抱き」が話題となり、一躍注目を浴びる存在となった。
『星のカービィ 夢の泉の物語』でファミコン最後のミリオンセラーを達成
ハードの終焉期でありながら、コピー能力の導入など大幅な進化を遂げミリオンセラーを記録した。
ドラマ『ひとつ屋根の下』に出演
最高視聴率37.8%を記録した社会現象的ヒットドラマに次男・雅也役で出演し、その知名度は全国区となった。
アルバム初のオリコン1位獲得
5枚目のオリジナル・アルバム『Calling』で自身初のアルバムチャート1位を達成した。
NHK紅白歌合戦に初出場
「MELODY」を披露し、24歳で紅白初出場を果たした。以降、現在までにトリや大トリを務める常連となっている。
4年連続の最多勝利、最多奪三振を達成
シーズン最終盤の連投を経てタイトルを獲得。新人から4年連続の二冠達成はプロ野球史上初の快挙であった。
Jリーグ開幕年、初代MVP受賞
Jリーグの開幕年、ヴェルディ川崎の年間優勝に貢献。初代MVPやアジア年間最優秀選手賞など、個人タイトルを総なめにした。
「ドーハの悲劇」を経験
アメリカW杯アジア最終予選のイラク戦、ロスタイムの失点で本大会出場を逃す。エースとして予選計13ゴールを挙げながらも、あと一歩届かなかった。
『振り返れば奴がいる』で連続ドラマを初執筆
シリアスな医療ドラマを担当したが、自身の意図とは異なる喜劇調の脚本が制作現場で書き換えられるという経験をした。
ハル研究所代表取締役社長に就任
多額の負債を抱え経営危機に陥った同社の再建を託され就任。経営者として手腕を振るい、6年で15億円の負債を完済した。
「trf」のプロデュースを開始
自身が手掛ける初の全面プロデュースユニットとしてデビューさせる。これ以降、ダンスミュージックを基軸としたプロデュース業が本格化する。
映画『まあだだよ』で数々の映画賞を受賞
黒澤明監督にその演技力を惚れ込まれ出演し、ブルーリボン賞助演男優賞や日本アカデミー賞優秀助演男優賞に輝く。
初のシングルミリオンセラー「真夏の夜の夢」
自身最大のシングルヒットとなり、ドラマ主題歌としての波及効果で第四次ブームを形成した。