1990 年のとき
1990年。あの人は何歳で、どんな日々を過ごしていたのでしょうか。
時代の空気感とともに、当時の記録を振り返ります。
劇団「大人計画」に演出助手として入団
松尾スズキ主宰の劇団に参加。以降、脚本や演出、俳優として劇団の中心的役割を担うようになる。
ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』の脚本を担当
石田衣良の小説を実写化。斬新な演出と脚本が若者を中心に熱狂的な支持を集め、脚本家としての地位を不動のものとした。第25回ザテレビジョンドラマアカデミー賞にて脚本賞を受賞。
歌手デビュー
シングル『追憶の雨の中』で歌手デビュー。「イナカモン、バイ。」をキャッチフレーズにアーティスト活動を開始した。
プロ初登板を果たす
西武ライオンズ戦でプロデビュー。投球フォームを変更しないことを条件にプロの門を叩いた。
プロ初勝利と1試合17奪三振の日本記録
オリックス戦で当時の日本タイ記録となる17奪三振を記録し、完投でプロ初勝利を挙げた。
投手四冠を達成し、新人王、MVP、沢村賞を受賞
新人にして最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率を独占。パ・リーグ初の沢村賞投手となった。
『SLAM DUNK』連載開始
筆名を井上雄彦に変更し、バスケットボールを題材にした本作を開始。日本における競技ブームの火付け役となり、1996年まで続く大ヒット作となった。
読売サッカークラブへ移籍
Jリーグ発足を前に日本代表のW杯出場に貢献するため、ブラジルを離れ日本サッカーリーグの読売クラブ(現・東京ヴェルディ)へ移籍した。
松永光代(太田光代)と結婚
当時同じ事務所に所属していた元芸人の光代と結婚。後に光代が芸能事務所「タイタン」を設立し、公私ともにパートナーとして歩み始める。
『ふしぎの海のナディア』放送開始
NHKで放送されたテレビシリーズの総監督を務める。自身の性格や偏食などの要素がキャラクター造形に反映された。
『きかんしゃトーマス』トーマス役を担当
日本放送開始の『きかんしゃトーマス』にて、初代トーマス役の吹き替えを2007年まで担当した。
初監督映画『稲村ジェーン』公開
監督と音楽を担当。配給収入18.3億円を記録し、同年の日本映画で大ヒットとなった]。
アルバム出荷200万枚を日本史上初めて達成
『天国のドア』が当時のアルバム最高売上記録を更新し、第三次ブームを象徴する作品となった。
『世にも奇妙な物語』放送開始
ストーリーテラーとして番組の顔を務める。番組のミステリアスな世界観を象徴する唯一無二の存在となった。