1992 年のとき
1992年。あの人は何歳で、どんな日々を過ごしていたのでしょうか。
時代の空気感とともに、当時の記録を振り返ります。
SUPER MONKEY'Sとしてメジャーデビュー
シングル「恋のキュート・ビート/ミスターU.S.A.」をリリースし、グループのセンターとして芸能活動を本格開始した。
夏の甲子園で「5打席連続敬遠」
第74回全国高等学校野球選手権大会の明徳義塾戦で、全打席敬遠という前代未聞の作戦を執られる。社会問題にまで発展する大きな議論を巻き起こした。
読売ジャイアンツからドラフト1位指名
4球団競合の末、長嶋茂雄監督が当たりクジを引き当て交渉権を獲得。憧れの阪神入りは叶わなかったが、長嶋監督のラブコールに応え入団を決意した。
手塚賞に準入選
高校在学中に「月火水木金土」のペンネームで投稿した短編「WANTED!」が第44回手塚賞にて準入選を受賞した。
旭化成せんいキャンペーンモデルなどに選出
第17代「旭化成せんいキャンペーンモデル」や「アサヒ飲料」のイメージガールに選ばれ、モデルとしての活動を本格化させた。
ドラマ『社長になった若大将』で女優デビュー
TBS系の作品にて、藤木美和役を演じ女優としてのキャリアをスタートさせた。
『星のカービィ』でディレクターデビュー
当時21歳で初のディレクションを担当。全世界累計500万本以上のメガヒットを記録し、会社の経営危機を救う記念碑的な成功を収めた。
「Good night」がスマッシュヒット
自身が出演したドラマ『愛はどうだ』の挿入歌として起用され、歌手として広く認知されるきっかけとなった。
シャ乱Qとしてメジャーデビュー
シングル「18ヶ月」でデビューを果たした。
アジアカップで日本を初優勝に導く
ハンス・オフト監督のもと、日本代表のエースとしてアジアカップ優勝に大きく貢献。大会MVPにも選出された。
ディズニー映画『アラジン』ジーニー役を担当
アニメ映画『アラジン』の日本語吹き替え版でジーニーを担当。マシンガントークと歌唱力を披露し、自身の代表作の一つとなった。
ボクシング漫画『CHIBI』の連載開始
スポーツ全般を好む嗜好を活かし、ボクシングを題材とした連載作品『CHIBI』を発表した。
離婚会見でのパフォーマンス
大竹しのぶと離婚。会見で額に「×」印を書いて登場するなど、私生活の出来事も笑いに変えて注目を集めた。
バルセロナ五輪開会式の音楽を担当
開会式のクライマックスで演奏される楽曲「El Mar Mediterrani」を作曲し、自ら指揮を執った。世界中の視聴者にその音楽を届けた。
『H2』連載開始
『週刊少年サンデー』にて、ライバル同士の激闘と四角関係を描いた連載『H2』をスタート。1999年まで続く長期連載となり、自身の野球漫画の新たな代表作となった。
『タモリのボキャブラ天国』放送開始
言葉遊びをテーマにした番組がヒット。後に若手芸人が競う形式へ移行し、1990年代の爆笑問題らお笑いブームを牽引した。