1994 年のとき
1994年。あの人は何歳で、どんな日々を過ごしていたのでしょうか。
時代の空気感とともに、当時の記録を振り返ります。
大学を中退しアシスタント修行へ
大学を1年時で中退し、甲斐谷忍、徳弘正也、和月伸宏らの元でアシスタントを務めながら研鑽を積んだ。
登録名を「イチロー」に変更
仰木彬監督の就任に伴い、「イチロー」という名前での登録を敢行。日本人選手初の試みとして大きな話題を呼んだ。
日本プロ野球史上初のシーズン200安打達成
ロッテ戦でシーズン200安打の金字塔を打ち立てた。最終的に打率.385、210安打を記録し、最優秀選手(MVP)や首位打者など多くのタイトルを総なめにした。
映画初出演にして新人賞を受賞
映画『シュート!』に伝説のストライカー役で出演。石原裕次郎新人賞やエランドール賞新人賞を受賞し、役者としての評価を確立した。
「ベストジーニスト」初受賞
この年から5年連続で受賞し、殿堂入りを達成。1990年代のファッションリーダーとして多大な影響を与えた。
『とんねるずのみなさんのおかげです』のコントに出演
人気番組のコント「近未来警察072」にナナ隊員として出演。イジられ役を演じて知名度を大きく上げた。
史上最年少・最速での九段昇段
23歳という若さで、当時の規定により飛び昇段を含む史上最速・最年少での九段昇段を果たした。
名人位獲得
第52期名人戦で米長邦雄から名人位を奪取。これにより五冠王(名人・棋聖・王位・王座・棋王)となった。
初のシングル1位とミリオン達成
『IT'S ONLY LOVE/SORRY BABY』がオリコン1位を獲得し、自身初のミリオンセラーを記録した。
プロデューサー活動を開始
FUJIWARAの楽曲『明日が来る前に』のアドバイス的な役割として、初のプロデュース活動に携わった。
イタリア・セリエAのジェノアへ移籍
アジア人初のセリエAプレーヤーとしてジェノアCFCに期限付き移籍。サンプドリアとのダービーマッチで得点を記録した。
『マクロスプラス』でアニメ劇伴に進出
自身初の海外録音をイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団と行い、アニメ音楽の潮流を変える先駆けとなった。
『ポリスノーツ』発売
宇宙を舞台にした本格SF作品。企画・制作・監督・脚本のすべてを自身で手掛けた初期の代表作。
著書『遺書』が発売、空前のベストセラーに
翌年発売の『松本』と合わせ、単行本年間売上の1位・2位を独占する社会現象を巻き起こした。
女優の安田成美と結婚
映画での共演をきっかけに交際をスタートさせ、後に2男1女をもうけるなど芸能界を代表するおしどり夫婦として知られる。
初の個展『太陽ニコニカ展』を開催
名古屋パルコにて初の個展を開催し、本格的なアーティストとしての活動をスタートさせた。
ハリウッド映画『メジャーリーグ2』に出演
日本人選手タカ・タナカ役を演じ、全米のメジャーリーグファンからも認知されるきっかけとなる。
ドラマ『古畑任三郎』が放送開始し、国民的大ヒットを記録
田村正和主演の倒叙ミステリー。シリーズ化される代表作となった。
映画『マスク』でジム・キャリーを担当
ジム・キャリーの吹き替えを担当し、その怪演を見事に再現。以降、多くの作品でジム・キャリーのフィックス(専属)声優として定着した。
『キャプテン翼 ワールドユース編』の連載を開始
『キャプテン翼』の新シリーズとして、国際舞台での戦いを描く『ワールドユース編』の連載を始動させた。
『MONSTER』連載開始
ドイツを舞台にした本格スリラー。第3回手塚治虫文化賞マンガ大賞や第46回小学館漫画賞を受賞するなど、作品の芸術性とエンターテインメント性を高く評価された。
『MOTHER2 ギーグの逆襲』を完成に導く
開発が難航していた本作に対し、「いまあるものを活かすなら2年、作り直すなら半年」と提案。自らプログラムを書き直し、約1年で発売まで漕ぎ着けた。
TMN(TM NETWORK)の「終了」を発表
プロジェクトの第1期を完結させるとして活動停止を表明。最終公演をもってプロデューサー活動に比重を移した。
株式を店頭公開
ソフトバンクの株式を店頭市場(現JASDAQ)に公開し、さらなる事業拡大の基盤を築く。
映画『毎日が夏休み』で本格女優デビュー
映画『毎日が夏休み』への出演を機に、声の仕事だけでなく顔出しの女優としても本格的に活動を開始した。
『恋のから騒ぎ』放送開始
素人女性たちの赤裸々なトークを引き出す司会術が話題を呼び、バラエティ番組に新たなブームを起こした。
ソロ2ndアルバム『孤独の太陽』をリリース
アコースティック・フォーク路線を展開。第36回日本レコード大賞でアルバム大賞を受賞するなど高く評価された。
『開運!なんでも鑑定団』放送開始
司会を務める同番組が大ヒット。お宝の価値を問う新しいスタイルの教養バラエティとして長寿番組へと成長させた。
バイク事故で重傷を負う
原付バイクでの自損事故により生死の境を彷徨う。約半年間の休養後、顔面麻痺を抱えながらも奇跡的な復帰を果たした。