1997 年のとき
1997年。あの人は何歳で、どんな日々を過ごしていたのでしょうか。
時代の空気感とともに、当時の記録を振り返ります。
「Folder」のメンバーとして歌手デビュー
沖縄アクターズスクールのオーディションで優勝し入校。「HIKARI」名義でシングル『パラシューター』をリリースした。
映画『モスラ2 海底の大決戦』に出演
子役として出演し、この時の経験が後に俳優を志す大きなきっかけとなった。
「全日本国民的美少女コンテスト」審査員特別賞を受賞
小学6年生の時に出場。本来は賞の予定になかったが、審査員の推薦により急遽2名枠となった審査員特別賞に選ばれた。
音楽ユニット「capsule」を結成
同じ金沢市出身のこしじまとしこと共に結成、活動開始。
「CAN YOU CELEBRATE?」がダブルミリオン
結婚式の定番曲として社会現象化。女性ソロアーティストの歴代1位となるシングル売上記録を達成した。
自身初の4大ドームツアーを開催
10代のソロアーティストとしては史上初となる、東京・名古屋・大阪・福岡の4大ドームでのスタジアム公演を成功させた。
結婚と妊娠を発表
TRFのダンサー・SAMとの結婚と妊娠3ヶ月であることを発表。トップスターの突然の吉報に世間が大きく驚いた。
日本レコード大賞2年連続受賞と紅白紅組トリ
「CAN YOU CELEBRATE?」で2年連続の大賞を受賞。紅白では初の紅組トリを務め、この日を最後に1年間の産休に入った。
日本代表(フル代表)デビュー
韓国との親善試合でフル代表初招集を受け、先発デビュー。以後、一度も代表から外れることなく核として定着した。
W杯初出場へ導く「ジョホールバルの歓喜」
W杯アジア最終予選プレーオフのイラン戦で、日本の全3得点をアシストする活躍を見せ、悲願のW杯初出場を現実のものとした。
『ONE PIECE』の連載を開始
『週刊少年ジャンプ』にて海賊達の冒険を描く『ONE PIECE』の連載をスタートさせた。
「モーニング娘。」のプロデュースを本格化
オーディション番組『ASAYAN』をきっかけに誕生したモーニング娘。のプロデューサーとしての活動を本格的に開始した。
悲願のワールドカップ初出場を決定
フランスW杯アジア第3代表決定戦(ジョホールバルの歓喜)でイランを下し、日本を史上初のW杯出場へと導いた。
「楽天市場」を開設
インターネット・ショッピングモール「楽天市場」のサービスを開始。初期の出店数は13店舗であった。
ソロシングル『春はまだか』をリリース
奥田民生プロデュース作品。JR東日本のCMソングに起用されヒットした。
映画『ラヂオの時間』で映画監督デビュー
自身の舞台作品を映画化し、日本アカデミー賞最優秀脚本賞など数多くの賞を総なめにした。
『おはスタ』のメイン司会に就任
テレビ東京系列の児童向けバラエティ番組『おはスタ』の司会者「やまちゃん」として活動を開始。毎朝の顔として18年半にわたり子供たちに愛された。
『総理と呼ばないで』で連ドラデビュー
三谷幸喜からの熱烈なオファーを受け、自身初となる連続テレビドラマ出演を果たした。
日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞
三谷幸喜監督映画『ラヂオの時間』での千本のっこ役が評価され、第21回日本アカデミー賞優秀助演女優賞に輝いた。
『踊る!さんま御殿!!』放送開始
自身の圧倒的なトーク技術を武器にした冠番組がスタート。日本を代表する人気長寿番組となった。
ノンフィクション『アンダーグラウンド』を刊行
地下鉄サリン事件の被害者への膨大なインタビューをまとめ、社会的にも大きな反響を呼んだ。
映画『HANA-BI』で金獅子賞受賞
ヴェネツィア国際映画祭で日本映画として40年ぶりとなる最高賞を受賞。「世界のキタノ」の名を不動のものとした。
『もののけ姫』公開
56歳の時の作品。当時の日本映画の興行記録を塗り替え、ジブリ人気を不動のものとした。