1999 年のとき
1999年。あの人は何歳で、どんな日々を過ごしていたのでしょうか。
時代の空気感とともに、当時の記録を振り返ります。
4歳でスケートを始める
姉の影響で仙台市のリンクにてスケートを開始。持病の喘息を克服することも目的の一つであった。
1stアルバム『A Song for ××』がオリコン1位を獲得
自身初のミリオンセラーを記録し、トップアーティストの仲間入りを果たした。
シングル『LOVE 〜Destiny〜』でオリコン1位を初獲得
つんく♂プロデュースによる楽曲で、シングルチャートでも初の頂点に立った。
シングル『A』が自身初のシングルミリオンセラーを達成
「Boys & Girls」などを収録。シングル扱いでは自身初のミリオンセラーとなり、夏に大ブレイクした。
2ndアルバム『LOVEppears』がダブルミリオンを記録
圧倒的な露出量とビジュアル戦略で「女子高生のカリスマ」としての地位を不動のものとした。
NHK紅白歌合戦に初出場
「Boys & Girls」を披露。この年、怒涛のリリースラッシュで音楽界を席巻した。
『救命病棟24時』シリーズがスタート
小島楓役で主演(江口洋介とW主演)。以降、第5シリーズまで続く長寿・人気シリーズとなった。
ドラマ『魔女の条件』に主演し大ヒット
教師と生徒の禁断の愛を描いた衝撃作。平均視聴率も高く、1999年は主演作が3本続くなど多忙を極めた。
『ONE PIECE』テレビアニメ放送開始
『ONE PIECE』連載開始からわずか2年でアニメ化され、国民的人気作品としての地位を確立した。
『大乱闘スマッシュブラザーズ』を発売
格闘ゲームのジンクスを打ち破るべく任天堂キャラの使用を交渉。口コミで人気が爆発し、国内200万本に迫る大ヒットとなった。
公式サイト『スマブラ拳!!』を開設
開発者がユーザーと直接対話する画期的な場を構築。双方向のコミュニケーション活動を積極的に行い、後のゲーム開発の在り方に影響を与えた。
映画監督デビュー
劇場短編『劇場版デジモンアドベンチャー』で映画監督としてデビュー。上映時間20分の作品ながら、その演出力が注目された。
「TOUCH ME」でソロデビュー
マキシシングル「TOUCH ME」をリリースし、ソロアーティストとしての活動もスタートさせた。
『リアル』連載開始
『週刊ヤングジャンプ』にて、車椅子バスケットボールを題材とした物語を開始した。
自伝『カラス』を出版
34歳までの半生を振り返る自伝を出版。後に『爆笑問題 太田光自伝』として文庫化される。
ドーバー海峡の遠泳横断に成功
『ウリナリ!!』の企画「ドーバー海峡横断部」にてリレー形式で横断を達成。後に「人生で1番キツかった仕事」と回想している。
『劇場版ポケットモンスター』に声優として出演
ヤドキング役を担当。翌年には海外アニメ『シュレック』の日本語版主役も務めるなど、声優としても高い評価を得た。
『カウボーイビバップ』サントラで日本ゴールドディスク大賞受賞
アニメーション・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。ジャズやブルースを大胆に取り入れた音楽が世界的評価を得た。
監督2作目『ワンダフルライフ』を公開
ナント三大陸映画祭でグランプリを受賞。世界30ヶ国、全米200館で上映され、インディペンデント映画として国際的に異例のヒットとなった。
ユニット「野猿」として紅白歌合戦に出場
番組スタッフとの音楽ユニットとして社会現象を巻き起こし、自身2度目の別名義での紅白出場を果たす。
「野猿」のメンバーとして紅白歌合戦に出場
番組スタッフとのユニットで音楽活動を展開し、社会現象を巻き起こすヒットを連発した。
『20世紀少年』連載開始
自身の自叙伝的要素も盛り込んだ壮大なSFサスペンス。後に実写映画化もされた。
ギネス世界記録に認定
「日本で最も露出の多いテレビスター」としてギネスブックに世界記録認定された。
コンサート『シャングリラ』開催
ロシアのサーカスチームとコラボレーションした大規模なエンターテインメント・スペクタクルを展開した。
「energy flow」が空前の大ヒット
CM曲として制作されたピアノソロ曲を収録したマキシシングル『ウラBTTB』がミリオンセラーを達成。インストゥルメンタル曲として史上初のオリコンチャート1位を記録する社会現象となった。
映画『鉄道員(ぽっぽや)』に出演
高倉健からの直々の依頼を受け、信条としていた俳優業の辞退を覆して出演。不器用な炭鉱夫を見事に演じた。
東京証券取引所市場第一部へ上場
設立から急速な成長を遂げ、国内最高の市場である東証一部への上場を果たした。