2001 年のとき
2001年。あの人は何歳で、どんな日々を過ごしていたのでしょうか。
時代の空気感とともに、当時の記録を振り返ります。
『千と千尋の神隠し』で声優デビュー
スタジオジブリ作品に坊役で出演。当時8歳にして圧倒的な存在感を示し、声優としての才能も世に知らしめた。本作は当時の日本歴代興行収入1位を記録した。
『3年B組金八先生』で性同一性障害の生徒役を熱演
第6シリーズに鶴本直役で出演。その繊細な演技が大きな反響を呼び、一躍注目を集めるきっかけとなった。
capsuleとしてメジャーデビュー
ネオ渋谷系の流行に貢献し、以降プロデューサーとしても多忙な活動を展開することとなる。
ベストアルバム『A BEST』を発売
大規模なプロモーション合戦の結果、自身最高となる400万枚以上の歴史的売上を記録した。
『Dearest』で日本レコード大賞を初受賞
名実ともに日本音楽界の頂点に立った。同年に米誌『タイム』アジア版の表紙も飾っている。
小室哲哉プロデュースからの卒業
シングル「think of me/no more tears」を最後に小室氏の手を離れ、本格的なR&B・ヒップホップ路線へと舵を切った。
セリエA優勝の立役者となる
優勝を争うユヴェントスとの直接対決で、途中出場から劇的なミドルシュートを決めるなど活躍。日本人初のセリエA優勝メンバーとなった。
コンフェデレーションズカップ準優勝
準決勝オーストラリア戦で決勝FKを決め、日本を初の国際大会決勝へ導いた。その後優勝を見届けずにローマへ戻りスクデット獲得に立ち会った。
当時アジア人最高額でパルマへ移籍
移籍金約33億円でパルマへ移籍。背番号10を背負い、チームの攻撃の中心としての役割を担った。
初の首位打者獲得
打率.333を記録し、本塁打王、打点王に続く三つ目の主要タイトルを獲得。全イニング出場での達成は史上3人目の快挙。
MLB史上2人目の新人王とMVPを同時受賞
1年目から首位打者、盗塁王、ゴールドグラブ賞、シルバースラッガー賞など主要タイトルを総なめにし、全米にイチロー旋風を巻き起こした。
ドラマ『HERO』で型破りな検事を好演
全話30%を超える視聴率を記録する空前のヒット。久利生公平役は自身の代表作となり、後にシリーズ化・映画化された。
日本ファルコムを退社し独立
自分の生活に密接したものを表現したいという思いから、5年間勤めた会社を辞めて制作に専念する道を選んだ。
映画『GO』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞
在日韓国人の少年を描いた金城一紀の小説を脚本化。高い評価を受け、第25回日本アカデミー賞のほか、読売文学賞など数々の賞を総なめにした。
カービィシリーズの統括ディレクターに就任
ゲーム開発に加え、アニメ版『星のカービィ』の監修など、メディア展開全般の統括を担うようになった。
2度目のノーヒットノーランを達成
レッドソックス移籍初戦で達成。両リーグでの達成はメジャー史上4人目の歴史的記録となった。
芸名を「つんく♂」に改名
芸能活動やプロデューサーとしての名前を「つんく♂」に変更。作詞作曲時のクレジットは「つんく」のまま維持された。
メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞
『バガボンド』の成果により、第4回文化庁メディア芸術祭にて大賞に選出された。
米『ニューズウィーク』誌で「未来を切り拓く10人」に選出
日本人として唯一選出。ゲームを文化として高めた功績が世界的に認められた。
『メタルギア ソリッド 2』発売
シリーズ最高の売上本数を記録。デジタル社会への警鐘を鳴らす先見性のあるテーマが、後に大きな社会的インパクトを与えた。
ラジオ番組『放送室』を開始
幼馴染の放送作家・高須光聖とのトーク番組。2009年まで約7年半続き、数多くの熱狂的リスナーを生んだ。
キャプテン翼『ROAD TO 2002』の連載を開始
日韓ワールドカップ開催を控え、主人公・大空翼のプロ選手としての歩みを描く新シリーズを開始した。
『大乱闘スマッシュブラザーズDX』のデバッグを指揮
発売延期が危ぶまれる中、自らハル研究所に出向いてコードレビューと不具合修正を実施。プログラマーとして携わった最後の仕事となった。
「Yahoo! BB」提供開始
ADSL接続サービスの提供を開始し、日本の通信環境におけるブロードバンド普及を強力に推進。
ソロ活動を本格化、「波乗りジョニー」「白い恋人達」がミリオンセラー
夏と冬のポップソングとして両作とも100万枚を超える歴史的なヒットを記録。
『M-1グランプリ』を創設・プロデュース
「既存の賞を凌駕する新しいコンテストを」との想いから企画し、スポンサー集めから携わる。漫才界の権威として数々のスターを輩出した。
『千と千尋の神隠し』公開
60歳の還暦の年に公開。日本国内で300億円を超える興収を記録し、ベルリン国際映画祭金熊賞も受賞した。