1995 年のとき
1995年。あの人は何歳で、どんな日々を過ごしていたのでしょうか。
時代の空気感とともに、当時の記録を振り返ります。
芸能界入りし、CMデビューを果たす
母親が「生存の証」としてセントラル子供タレントに応募したことがきっかけ。トイボックスのCMでデビューし、子役としてのキャリアをスタートさせた。
「TRY ME 〜私を信じて〜」が大ヒット
ユーロビートのカバー曲が累計売上73万枚を記録。グループ名も「安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S」へと改名された。
単独名義でのソロデビュー
シングル「太陽のSEASON」を安室奈美恵名義でリリース。事実上のソロアーティストとしての歩みをスタートさせた。
小室哲哉プロデュース開始とエイベックス移籍
小室プロデュース第1弾シングル「Body Feels EXIT」を発売。レコード会社をエイベックスへ移籍し、黄金時代を築き始める。
NHK紅白歌合戦に初出場
「Chase the Chance」で紅白初出場を果たした。同曲はシングルとして自身初のオリコン首位とミリオンセラーを記録した。
アルバム『NOTHING FROM NOTHING』をリリース
「AYUMI」名義でラッパーとしての活動も経験した。
ベルマーレ平塚に加入
高校卒業後、Jリーグ11クラブからのオファーを受けベルマーレ平塚に入団。プロとしてのキャリアをスタートさせた。
アジアカップウィナーズカップ優勝
決勝のアル・タラバ戦で劇的な決勝ゴールを挙げ、チームをアジアの頂点へと導いた。
「打者五冠王」を獲得し、「がんばろうKOBE」を掲げたシーズンでチームをリーグ優勝へ導く
阪神・淡路大震災後、「がんばろうKOBE」を掲げたシーズンで首位打者、打点王、盗塁王、最多安打、最高出塁率の五冠を独占。神戸の復興のシンボルとなった。
パンクロックバンド「グループ魂」を結成
阿部サダヲ、村杉蝉之介らと共に結成。「暴動」の名義でギタリストとして活動し、全楽曲の作詞やコント構成も担当する。
「HELLO」がミリオンセラーを記録
マキシシングルとして当時初のミリオンセラーを達成。大ヒット曲としての地位を不動のものとした。
テレビドラマ初主演(月9初主演)
フジテレビ系月9ドラマ『いつかまた逢える』で初主演を務め、俳優としての人気を決定づけた。
ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約
近鉄を退団し、日本人として32年ぶり2人目のメジャーリーガーを目指して渡米。契約金は大幅に下がったが夢を優先した。
メジャーリーグデビュー
ジャイアンツ戦で先発。独特のトルネード投法は全米で「NOMOマニア」と呼ばれる社会現象を巻き起こした。
ナ・リーグ新人王を受賞
アジア人初の快挙。最多奪三振のタイトルも獲得し、サイ・ヤング賞投票でも4位に入る活躍を見せた。
「H Jungle with t」として『WOW WAR TONIGHT』をリリース
小室哲哉とのユニットで200万枚を超えるダブルミリオンを記録。
NHK紅白歌合戦に「H Jungle with t」として初出場
第46回紅白に出場。ステージには相方の松本人志も「GEISHA GIRLS」に扮して乱入し、話題となった。
銀行を退職し起業を決意
阪神・淡路大震災をきっかけに「自分の人生をどう生きるか」を考え、日本興業銀行を退社した。
銀行を退職しコンサルタント業を開始
32歳の時に銀行を退職。ビジネス書の執筆やソフト監修の傍ら、子供の頃からの夢であった江戸川乱歩賞を目指し始める。
今井美樹や坂本真綾のプロデュースを手掛ける
今井美樹のアルバム制作をきっかけに坂本真綾と出会い、以降約9年間にわたる歌手プロデュースがスタートした。
映画監督デビュー作『幻の光』公開
宮本輝の小説を映画化。第52回ヴェネツィア映画祭で金のオゼッラ賞を受賞し、華々しい監督デビューを飾った。
『新世紀エヴァンゲリオン』が社会現象に
テレビシリーズの監督を務め、大ヒットを記録。本作により第18回日本SF大賞を受賞するなど、アニメ史に残る金字塔を打ち立てた。
音楽ユニット「globe」を結成
マーク・パンサー、KEIKOと共に自身もメンバーとして参加するユニットを結成。デビューからヒットを連発し、アルバム『globe』は400万枚を超える歴史的売上を記録した。
「奇跡の地球」をリリース
桑田佳祐&Mr.Children名義。170万枚を超える大ヒットとなり、収益はエイズ啓発活動「Act Against AIDS」の基金に充てられた。
『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』を公開
日本の映像作品として初めて米ビルボード誌のビデオ週間売り上げで1位を獲得するなど、海外で極めて高い評価を受けた。
日本初のインターネット・ライブ配信を実施
自身のツアーにおいて、未だ一般的ではなかったインターネットを用いた生配信に挑戦。新しいテクノロジーへの深い関心と先見性を示した。