2006 年のとき
2006年。あの人は何歳で、どんな日々を過ごしていたのでしょうか。
時代の空気感とともに、当時の記録を振り返ります。
ドラマ『探偵学園Q』でテレビドラマ初主演
単発ドラマとして放送された本作でドラマ初主演。翌年には連続ドラマ化もされた。
高校生でナショナルチーム選出
高校3年時に高校選抜と全日本ジュニアの個人総合2冠を獲得する活躍を見せ、高校生ながら日本代表のナショナルチームに選出された。
シングル総売上が2000万枚を突破
女性ソロアーティストとして史上初の2000万枚突破という金字塔を打ち立てた。
現役最後の試合、W杯ブラジル戦
ドイツW杯のブラジル戦がキャリア最後の試合となった。試合後ピッチに仰向けに倒れ込んだ姿は、一つの時代の終わりを象徴した。
自身の公式サイトで電撃引退を発表
29歳という若さでの引退表明は世界中に衝撃を与えた。「人生は旅であり、旅は人生である」という哲学的なメッセージを残した。
第1回WBCで日本代表を世界一へ導く
日本代表の精神的支柱としてチームを牽引し、初代王者に貢献。決勝のキューバ戦でも適時打を放つなど勝負強さを見せた。
左手首骨折により連続試合出場がストップ
試合中の守備で負傷。日本から続いていた連続試合出場記録が1768でストップし、全米がそのニュースに注目した。
映画『武士の一分』に主演
山田洋次監督作品に盲目の武士役で出演。ベルリン映画祭でも高い評価を受け、日本映画批評家大賞などを受賞した。
小説『Fate/Zero』の執筆を担当
TYPE-MOONとの共同プロジェクトである『Fate/stay night』の外伝小説の執筆を開始。その重厚な群像劇は後のアニメ化を含め、シリーズの金字塔となった。
TNX株式会社を設立
代表取締役社長として総合エンターテインメント事務所を設立。同年、ゲームソフト『リズム天国』などのプロデュースも手掛けた。
『時をかける少女』公開
フリー転向後初の監督作品。当初は全国21館の小規模公開だったが、口コミで人気が爆発し、40週にわたる異例のロングランヒットを記録した。
「スラムダンク奨学金」を設立
バスケへの感謝を形にするため、米国のプレップスクールへの留学を支援する奨学金制度を構想・設立した。
芸術選奨文部科学大臣賞を受賞
放送分野における優れた業績が認められ受賞。お笑い芸人としての枠を超えた文化的な功績が国家的に評価された。
映画『ピーナッツ』で映画監督デビュー
幼少期からの夢であった映画監督として、脚本・主演も兼任して初監督作品を公開。以降、継続的に映画製作を行っている。
『空飛ぶタイヤ』が初の直木賞候補に選出
企業の不正とそれに対峙する人々を描いた本作で、初めて直木三十五賞の候補となる。組織ではなく「生きている人間」を描くスタイルへの転換点となった作品である。
監督映画『THE 有頂天ホテル』が公開し大ヒット
興行収入60億円を記録するメガヒット作となり、映画監督としての地位を不動のものとした。
株式会社カラーを設立
自ら代表取締役社長を務める映像制作会社を設立し、ガイナックスの取締役を退任した。
インタビュー連載「社長が訊く」を開始
自らが聞き手となり、開発者の意図や苦労をユーザーに届ける画期的な広報施策をスタート。情報の透明性を高めることに貢献した。
Wiiを発売
直感的なリモコン操作を導入し、普段ゲームをしない層をも巻き込む爆発的なヒットを記録。据え置き型ゲーム機の勢力図を塗り替えた。
携帯電話事業への参入
ボーダフォン日本法人(現ソフトバンク株式会社)の買収を発表し、モバイル通信事業へ本格参入。
フランス芸術文化勲章(シュヴァリエ)を受章
長年のゲーム制作を通じた文化への貢献がフランス政府に認められ、叙勲された。
舞台『志村魂』を旗揚げ
自身の笑いの集大成として、古典コントや喜劇、得意の津軽三味線を披露する舞台公演を毎年恒例とした。
フランツ・カフカ賞を受賞
チェコの権威ある文学賞を受賞。これを機に、世界各国でノーベル文学賞の有力候補として名が挙がるようになった。