2008 年のとき
2008年。あの人は何歳で、どんな日々を過ごしていたのでしょうか。
時代の空気感とともに、当時の記録を振り返ります。
「ももいろクローバー」結成
グループの立ち上げメンバーとして活動をスタート。自身で初披露曲「あの空へ向かって」の曲名を考案した。
「ももいろクローバー」リーダーに就任
リーダーを引き継ぎ、「茶畑のシンデレラ」のキャッチフレーズと共に活動を牽引した。
全日本ジュニア選手権初優勝
中学2年でジュニアの日本一に輝く。
『栞と紙魚子の怪奇事件簿』で連続ドラマ初主演
南沢奈央とのダブル主演。AKB48メンバーとして初の連ドラ主演を果たした。
ジュノン・スーパーボーイ・コンテストでファイナリスト選出
第21回大会への参加をきっかけに、トップコートへの所属が決定した。
全国高等学校ゴルフ選手権大会で優勝
明徳義塾高等学校時代の2008年、全国高等学校ゴルフ選手権大会で優勝を飾り、日本ゴルフ協会のナショナルチームにも選出された。
北京五輪で日本人10代初の個人総合銀メダル
初めてのオリンピックで団体総合の銀メダル獲得に貢献。個人総合でも10代の日本人選手として史上初となる銀メダルを手にする快挙を成し遂げた。
全日本選手権で個人総合初優勝
全日本選手権の個人総合で初優勝を飾り、以後2017年まで続く国内外での個人総合40連勝の第一歩を記した。
オランダ1部VVVフェンロへ移籍
自身初の海外移籍。当初から「海外クラブへの移籍を認める」条項を契約に盛り込むなど、世界挑戦への強い意志を示していた。
日本代表(A代表)デビュー
南アフリカW杯アジア3次予選のバーレーン戦で代表初出場を記録した。
『M-1グランプリ』決勝戦の司会に初抜擢
第8回大会より司会を担当。2015年の復活後も継続して務める。
非営利団体「Child AFRICA」を立ち上げ
世界中の子供たちの教育支援を目的とした非営利団体を発足。ケニアのスラム訪問などを通じて教育環境の改善に尽力し、音楽活動と並行して本格的な社会貢献活動を展開し始めた。
『BEST FICTION』が3年代連続ミリオン達成
10代・20代・30代のすべてでミリオンセラーを記録するという音楽業界初の快挙を達成。驚異的なロングヒットとなった。
ドラマ『CHANGE』で総理大臣役
小学校教師から若き首相となる主人公を熱演。最終回での22分間に及ぶワンカットのスピーチは伝説となった。
「好きな男ランキング」15年連続1位
雑誌『anan』の恒例企画において、1994年から2008年まで15年連続で1位を獲得するという前人未到の記録を樹立した。
初の単行本『告白』を刊行
教え子に娘を殺された女教師の復讐を描いた。「週刊文春ミステリーベスト10」で第1位を獲得。
『ブラスレイター』でTVアニメに初参画
TVアニメ『ブラスレイター』において、自身初となるアニメ作品のシリーズ構成・脚本を担当。活動の場を映像分野へと広げ始めた。
『ゴールデンスランバー』で第5回本屋大賞を受賞
『ゴールデンスランバー』で第5回本屋大賞を受賞した。同作は「このミステリーがすごい!」でも1位に輝くなど、同年のミステリ界を席巻した。
直木賞の選考対象となることを辞退
直木賞の選考対象から外れることを自ら申し出た。賞の影響力が非常に大きく、自身の執筆環境が変化することを憂慮しての決断であった。
「永世名人」資格獲得と永世六冠達成
第66期名人戦で通算5期目の名人を獲得し十九世名人の資格を得た。これにより、当時の永世称号がある6タイトル全ての資格(永世六冠)を史上初めて揃えた。
現役引退を表明
「お客さんに見せるパフォーマンスは出せない」と語り、日米で19年間にわたる現役生活にピリオドを打った。
『マクロスF』が放送、主題歌「ライオン」が大ヒット
May'nと中島愛によるツインボーカル曲がチャートを席巻。アニメ音楽プロデューサーとしての地位を不動のものにした。
『歩いても 歩いても』公開
自身の亡き母への思いを投影させ、普通の家族の日常を繊細に描き出した。公開された各国で共感を呼び、国境を越えた高い支持を受けた。
プロデュースユニット「矢島美容室」を結成
木梨憲武、DJ OZMAと共にメンバーのプロデュースを行い、ヒット曲を輩出した。
プロデュースユニット「矢島美容室」を結成
石橋貴明、DJ OZMAと共に「矢島マーガレット」としてデビューし、コミカルな設定と楽曲で話題を呼んだ。
5億円の詐欺容疑で逮捕される
楽曲の著作権譲渡を巡るトラブルから詐欺容疑で逮捕。翌年に有罪判決(執行猶予付き)を受けた 。
『27時間テレビ』19年ぶりの総合司会
盟友である三宅恵介ディレクターの餞として総合司会に復帰し、歴代出演者と共に番組を盛り上げた。
サザンオールスターズの無期限活動休止を発表
30周年のライブ『真夏の大感謝祭』をもってバンド活動を一区切りさせ、以降ソロ活動に専念する。
『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』を公開
ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門に正式出品された。これにより、世界三大映画祭すべてへの出品を果たした。
『情報7daysニュースキャスター』開始
フリージャーナリストの立場で生放送の報道番組に挑戦。土曜夜の顔として13年以上にわたりメインキャスターを務めた。
赤塚不二夫へ「白紙の弔辞」
恩師・赤塚不二夫の告別式で弔辞を朗読。「私もあなたの数多くの作品のひとつです」という名言を残したが、手にした紙が白紙であったことが後に判明し大きな話題となった。