2005 年のとき
2005年。あの人は何歳で、どんな日々を過ごしていたのでしょうか。
時代の空気感とともに、当時の記録を振り返ります。
スターダストプロモーションに所属
母親が雑誌『De☆View』で見つけたオーディションに応募し合格。幼少期より新体操やダンス、バスケットボールで培った身体能力を武器に芸能活動を開始した。
アミューズへ移籍
子役時代から所属していた事務所を離れ、大手芸能事務所アミューズへ移籍。俳優としての活動領域をさらに広げる転換点となった。
映画『妖怪大戦争』に主演し、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞
三池崇史監督の超大作に主演。本作のヒットとともに、翌年の第29回日本アカデミー賞にて新人俳優賞に輝いた。
AKB48 オープニングメンバーオーディションに合格
応募総数7,924名の中から、最終合格者24名の一人として選出された。
AKB48劇場でグランドオープン初日の舞台に立つ
オープニングメンバー候補生として、チームAに所属し活動を開始した。
名古屋グランパスエイトとプロ契約
高校卒業後、名古屋に入団。開幕戦で高卒ルーキーながらスタメンデビューを飾り、アシストを記録した。
『ウルトラマンマックス』にレギュラー出演
アンドロイド・エリー役に抜擢。実相寺昭雄監督から「役者に向いている」と声をかけられ、本格的に役者の道へ進む決意をした。
ドラマ『タイガー&ドラゴン』に出演
下っ端落語家役の「どんつく」を演じ、テレビドラマでの存在感を示し始めた。
プレミアリーグ・ボルトンへ移籍
イタリアを離れ、イングランドのプレミアリーグへ挑戦。不屈の精神で新たなリーグのスタイルに適応した。
ドラマ版『火垂るの墓』で冷酷な叔母役を演じる
ドラマ・コンプレックス枠にて放送。21.2%の視聴率を記録し、これまでのイメージを覆す役柄への挑戦が話題となった。
第2回BS-i新人脚本賞に佳作入選
脚本の投稿を開始し、翌年に佳作を受賞。この授賞式で地方在住の新人がプロになる難しさを指摘されたことが、その後の創作活動の原動力となった。
『真夜中の弥次さん喜多さん』で映画監督デビュー
しりあがり寿の漫画を原作とした作品で、初の長編映画監督を務める。新藤兼人賞金賞を受賞し、監督としての才能も証明した。
ドラマ『タイガー&ドラゴン』が放送開始
落語とヤクザを組み合わせた斬新な設定が話題となり、第43回ギャラクシー賞大賞を受賞。古典落語を現代の物語に落とし込む構成力が高く評価された。
戯曲『鈍獣』で第49回岸田國士戯曲賞を受賞
演劇界の芥川賞と称される同賞を受賞。舞台・映像の両面で日本のエンターテインメント界を牽引する存在として認められた。
「グループ魂」としてNHK紅白歌合戦に初出場
「君にジュースを買ってあげる♥」を披露。
岩田聡社長より直々の開発オファーを受ける
E3の会場にて、任天堂の岩田社長から『大乱闘スマッシュブラザーズX』制作の正式な依頼を受け、再びシリーズの舵取りを担うこととなった。
有限会社ソラを設立
自身が代表取締役を務める開発スタジオを設立。ディレクターとしてより独立性の高い制作環境を整えた。
『ONE PIECE オマツリ男爵と秘密の島』公開
東映在籍時最後の長編監督作品。興行収入12億円を記録するヒットとなったが、独特の作風から大きな話題を呼んだ。
フリーランスへ転向
14年間勤めた東映アニメーションを退社し、自身の映画作りを追求するためフリーのアニメーション監督となった。
日米通算200勝を達成
デビルレイズ在籍時、ブルワーズ戦で勝利。史上初の日米通算200勝達成者となった。
シドニーFCの一員としてクラブW杯に出場
オーストラリアのシドニーFCへ期限付き移籍。日本人として初めてFIFAクラブ世界選手権(現・クラブW杯)のピッチに立った。
特番『芸能人格付けチェック』のMCに就任
以降、正月の恒例特番として高視聴率を連発する人気コンテンツの顔となった。
フリーアナウンサーの徳永有美と結婚
会見では妻を「侍のような」と表現し、二人の関係を「運命共同体」と語った。
『キャプテン翼 -GOLDEN 23-』の連載を開始
オリンピック出場を目指す日本代表チームの戦いを描くシリーズ『キャプテン翼 -GOLDEN 23-』の連載を開始した。
AKB48を立ち上げ、劇場公演を開始
秋葉原の専用劇場を拠点とするAKB48を始動させ、総合プロデューサーに就任した。
プロ野球球団オーナー就任
福岡ダイエーホークスを買収し、福岡ソフトバンクホークスのオーナーに就任。
『クイズ!ヘキサゴンII』にて「おバカブーム」を創出
司会を務める番組からPaboや羞恥心などのユニットを次々とプロデュース。音楽チャートを席巻し、社会現象を巻き起こした。
「Walk of Game」に名前が刻まれる
サンフランシスコのメトレオンに作られた「ゲームの歩道」において、ゲーム業界のレジェンドとして表彰された。