1983 年のとき
1983年。あの人は何歳で、どんな日々を過ごしていたのでしょうか。
時代の空気感とともに、当時の記録を振り返ります。
「ノンノボーイフレンド大賞」優勝
大学在学中に応募し優勝。以降、雑誌『MEN'S NON-NO』の看板モデルとして活躍した。
コンビ名を「ダウンタウン」に決定
複数の改名を経て現在の名称に定着。関西を拠点に活動を本格化させた。
劇団「東京サンシャインボーイズ」を結成
大学在学中に劇団を立ち上げ、自らも「一橋壮太朗」の芸名で役者を務めた。
大学を除籍、『風の谷のナウシカ』に参加
学費未納などにより大学を3回生で除籍となる。上京し、宮崎駿に認められて劇場アニメ『風の谷のナウシカ』のクライマックスである巨神兵のシーンの原画を担当した。
テレビアニメ『キャプテン翼』の放送開始で社会現象に
『キャプテン翼』がテレビ東京系でアニメ化。この放送をきっかけに、日本国内のサッカー競技人口が劇的に増加する社会現象を巻き起こした。
『BETA!!』でプロデビュー
『別冊 ゴルゴ13』に掲載された8ページの短編でデビューを果たす。
ファミリーコンピュータ用ソフトの開発に参画
任天堂から発売された『ピンボール』や『ゴルフ』のプログラミングを担当。卓越した技術でファミコン黎明期のソフト開発を支えた。
「TM NETWORK」を結成
宇都宮隆、木根尚登と共にユニットを結成。コカ・コーラ主催のコンテストでグランプリを受賞し、メジャーデビューへの足掛かりを掴んだ。
『キャッツ♥アイ』来生瞳役でヒット
大ヒットアニメ『キャッツ♥アイ』で主人公の次女・瞳を演じ、看板声優としての地位を確立した。
『笑っていいとも!』にレギュラー出演
1990年まで出演し、タモリとの絶妙な掛け合いや独自のコーナーで人気を博す。
『うる星やつら オンリー・ユー』で劇場映画監督デビュー
『うる星やつら オンリー・ユー』で初の劇場長編監督を務めた。
世界初のOVA『ダロス』を監督
生涯の師と仰ぐ鳥海永行と共同で、世界初となるオリジナル・ビデオ・アニメーション(OVA)を世に送り出した。
『戦場のメリークリスマス』に出演・音楽を担当
大島渚監督の依頼により俳優として出演。自身が手掛けたテーマ曲は世界的なスタンダードナンバーとなり、英国アカデミー賞作曲賞をアジア人で初めて受賞した。
YMOが「散開」(解散)
人気絶頂の中、グループとしての活動を一度終了。以降、ソロアーティストとしての活動を本格化させ、拠点を海外へと移していくこととなる。
『みゆき』のアニメ化・映画化
自身の作品として初となる連続テレビアニメ化が実現。メディアミックスが本格化し、幅広い層へ知名度が浸透した。
『スーパージョッキー』放送開始
「熱湯コマーシャル」などの過激な企画が話題を呼び、日曜昼の看板番組として長年愛された。
映画『戦場のメリークリスマス』出演
大島渚監督作品にハラ軍曹役で出演。俳優としても高い評価を受け、毎日映画コンクール助演男優賞を受賞した。
『世界まるごとHOWマッチ』出演
解答者として出演し、博識ぶりと軽妙なやり取りが評価される。文化人的な側面でも注目を集めるきっかけとなった。
『NHK紅白歌合戦』総合司会
NHKアナウンサー以外で初めて紅白の総合司会を務めるという異例の起用をされ、芸能界における格の高さを示した。