1982 年のとき
1982年。あの人は何歳で、どんな日々を過ごしていたのでしょうか。
時代の空気感とともに、当時の記録を振り返ります。
奨励会入会
小学6年生で小学生将棋名人戦を制し、二上達也九段門下として6級で奨励会に入会した。
単身ブラジルへ渡航
サッカーの名門・静岡学園高校を8カ月で中退し、プロ選手を目指して単身ブラジルへ渡航。名門CAジュベントスに所属した。
吉本総合芸能学院(NSC)大阪校に1期生として入学
中学時代の約束を果たすべく松本人志を誘い、共に入学。当初は「松本・浜田」などの名義で活動していた。
浜田雅功とコンビ結成、NSC大阪校1期生として入学
中学時代の同級生であった浜田に誘われ、吉本総合芸能学院(NSC)へ入学。翌年、コンビ名を「ダウンタウン」に決定した。
『お笑いスター誕生!!』でグランプリを獲得
10週勝ち抜きを果たし、期待の大型新人としてプロデビューを飾る。
『お笑いスター誕生!!』でグランプリを獲得
同番組で10週勝ち抜きを達成し、期待の大型新人としてプロデビューを飾った。
株式会社ハル研究所に入社
大学在学中からのアルバイトを経て、創業メンバーの一人として入社。同社におけるソフトウェア開発担当の社員第一号となった。
新人コミック大賞入選
小学館の面接時に持ち込んだ原稿『Return』が第9回新人コミック大賞一般部門に入選。これを機に本格的に漫画家を志す。
「ドラマティック・レイン」がヒット
稲垣潤一氏に提供した本作のヒットにより、作詞家としての知名度を大きく高めた。
原由子と結婚
サザンオールスターズのメンバーである原由子と入籍。
「花王名人大賞」新人賞を受賞
タレントとしての活躍が認められ、第2回花王名人大賞にて新人賞を受賞し、若手芸人としての地位を確立した。
「呉田軽穂」名義での楽曲提供を開始
松田聖子の「赤いスイートピー」など、知名度ではなく作品自体で評価されることを意図し変名で数々のヒット曲を提供した。
「い・け・な・いルージュマジック」がヒット
忌野清志郎とのコラボレーション作品。テレビ番組での過激なパフォーマンスが社会現象を巻き起こし、お茶の間に大きなインパクトを与えた。
『羊をめぐる冒険』で野間文芸新人賞を受賞
初の本格的な長編小説であり、専業作家として歩む決意を固めた。本作により「初期三部作」が完結した。
『笑っていいとも!』放送開始
お昼の帯番組の司会に抜擢。当初は不安視されたが、31年半にわたり日本の昼の顔として君臨する伝説的な長寿番組となった。
『タモリ倶楽部』放送開始
自身の多趣味を活かした深夜番組がスタート。40年以上にわたり放送され、深夜バラエティの金字塔を打ち立てた。